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院長プロフィール

院長紹介

昭和40年
別府市立 西幼稚園 卒
昭和40年
別府市立 西小学校 入学
昭和46年
日田市立 月隈(現・咸宜)小学校 卒
昭和49年
別府市立 山の手中学校 卒
昭和52年
大分県立 鶴見丘高校 卒
昭和52年
赤塚整骨院入門
昭和54年
行岡学園柔整科卒業
有明理学診療所 勤務
昭和55年
吉本整形外科病院 勤務
(3年で10年分の勉強が可能な病院)
■ご指導いただいた先生方
吉本恵則先生
(整形外科全般、関節外科専門医)
立松昌隆先生  (脊椎専門医、関節外科専門医)
金曽啓時先生 (脊椎専門医、関節外科専門医)
尾崎二郎先生 (肩関節専門医、関節外科専門医)
藤木淳一郎先生 (脊椎専門医、関節外科専門医)
藤沢義之先生  (膝関節専門医、関節外科専門医)
谷口俊四郎先生 (股関節専門医、関節外科専門医)
北田力先生 (足関節専門医、脊椎専門医)
八木力郎先生 (関節外科専門医)
矢島弘嗣先生 (手専門医、関節外科専門医)
中田浩司先生 (肘関節専門医、関節外科専門医)
杉本啓司先生 (関節外科専門医)(カイロを薦められる)
佐々木先生 (手専門医)
山口先生  (膝関節専門医、関節外科専門医)
増原健二名誉教授 (肘関節専門医、関節外科専門医)
上野良三先生 (股関節専門医、関節外科専門医)
上田信治先生 (理学療法士)(昭和58年、AKA、PNFに出会う)
おおの整骨院 院長
院長4歳の頃
おおの整骨院 院長
小4 運動会(妹と従兄弟)
取材記事

年間1,400件を超える手術件数は、当時西日本の病院のなかでは、トップの症例数で現在の整形外科のバイブル的な
存在でした。特に股関節は年間400件を超え、世界初の手術が2件、西ドイツから医師が見学に来るほどでした。
尾崎先生、藤木先生とは、大学でラットを使い、手術素材研究に1年間無休でお手伝いできたことは良い思い出です。

また私、大野が担当する高校生(前十字靭帯、後十字靭帯、外側々副靭帯断裂)には、日本初、川村技師を通じて
米国にディローテイションブレイスを発注しました。彼は陸上400mは引退しましたが草野球でピッチャーとして
活躍し、リハビリの世界に憧れ行岡学園理学療法科を主席で卒業、現在大病院のリハビリテーション科科長で
地域医療に貢献しています。現在、私のゴルフ仲間です。

昭和62年
北山本赤塚整骨院(南條式変形徒手矯正療法と出会う)
平成2年
おおの整骨院開設
平成6年
日本痩身医学協会で耳ツボダイエットを始める

院長のひとりごと

『急いては事を仕損じる』と言いますが、私も若い頃は、即効性ばかりを追い求め施術をしていた時代がありました。
自分の子供が278日の闘病生活を送っている時に、危篤状態が次々に出てくる症状に対して冷静に様子を診ながら
治療を続ける医師団の姿を見て、“ああ、治療は焦ってはいけないんだ”と感じました。
せっかちにならず、冷静に受身の治療をしてくれたことは親として大変感謝しています。

それからは、患者さんに対しては何回目の施術で勝負しようか。それまでは症状を追い込む為の下地作りに2〜5回
来院してもらい、次の施術に繋がる治療を行いゴールを目指す方針がベストと考えるようになりました。
下地作りの段階で症状の消失してしまう場合も少なくありません。

また、手術後にいまいちしっくりこない方は来院してみてください。
手術症例数の多い整形外科病院で理学療法を学んでいましたので、今の技術を使えば、
より良い結果がでるのではないか?!と考えています。